「チハヤ。」



僕は、読んでいた本から目を離すとアカリの方を見た。

ポカポカとした陽気が窓から部屋に、やわらかに入ってきている。


いつもならこんな日には、散歩に行こう!と元気よく提案するアカリが、今日は僕と一緒にのんびりと家の中で過ごしていた。

最近仕事が忙しかった僕にとって、そんなアカリの気遣いが嬉しかった。



「なんだい。」


「見て、ここまで編めたんだよ。」


糸鍵棒を軽く振って、アカリはにこやかにそういった。


ゆらゆらと糸鍵棒の先で、小さな黄色い編み物がつられて揺られている。

触ったらふわりとしそうなそれを、そっとつまみあげたいのを我慢して、僕はアカリの方に視線を移した。



「てぶくろ、だっけ?」


「そうだよ。いきなりレベルが高いかなって思ったんだけど。」


「ちょっと気が早くないかい?」

「そうかな?」


「チハヤだって。」


僕が持っていた本を見ながら、アカリはおかしそうにいった。

僕は手元の本が、幼児用のお菓子作りの本だったことを思い出して、ちょっと失敗したなって思った。


アカリがくすくすと笑っているのが少し悔しくて、パタンと持っていた本を閉じた。



「てぶくろをするようになるのは、一体いくつなんだろうね。」


ぽっこりと大きくなったアカリのお腹を撫でながら、僕はお腹の向こうにいるもうひとつの命に話しかけた。

アカリは糸鍵棒を持ったまま、ちょっとむっとした顔を作っていた。



「いいの。黄色だから、男の子でも女の子でもつけやすいでしょ?」



くすくすと笑って、僕はアカリを後ろからきゅっと抱きしめた。

いつもより暖かい。妊婦だからなのかな。



「編み終えたら、チハヤのも編んであげるね。」

「僕は緑がいいな。」

「うん、分かった。」



「マフラーでね。」

「はいはい。」



そっと、お腹を撫でる。時に、動くお腹の子のことが、たまらなく愛しく思える。

まだ、僕とアカリの子だっていう実感があまり沸かないのに、

それがすごく矛盾に思えて、でもそれでもいいって僕は思った。



ただ、この瞬間が。


アカリと僕がいて、笑っていられる時間があれば。

ただ一緒にいられれば、それだけでいい。

















「サクラ。」





熱心に絵本を読んでいる娘を呼ぶと、

寝転がっていた小さな子は、むくりと顔をあげてきょとんとこっちを向いた。


「ほら、見て。お外真っ白だよ。」



昨日たくさん降ったのかな。

朝食の片付けを終えて、フキンで手を拭きながら僕はそう言った。




「わー。パパ!雪だるま、雪だるま作ろう!」


無邪気にはしゃぐサクラは、大きな声で歓声をあげながら、小さな手袋を持って、真っ白な景色の中に飛び出した。

僕は慌ててその影を追って、家を出た。



「待って、サクラ。こっちのてぶくろしなきゃ。」


「やだ、これがいいの。」




僕はふっと、さくらんぼの絵柄の手袋を持っていた手を止めた。


僕の手の中にあるのは、娘の手の大きさにぴったりの手袋だったのだけれど、

小さな娘が持っているのは、その手よりも小さなもみじくらいの黄色の手袋だった。


僕はぎゅっと、締め付けられるような気持ちになった。




「・・・サクラの手はもう大きくなったから、その手袋は入らないんだよ。」



「やだ。」


「サクラ。破れるからやめなさい。」



無理やり手袋にぐいぐいと手を入れようとするサクラの手を掴んで、

僕は、複雑な気持ちでさくらんぼの手袋をつけさせようとした。


なかなか手のひらを広げないサクラの手が、ひんやりと冷たくて。

僕は握り締めている黄色の手袋の上から、そっと手を重ねた。


僕は、首に巻いていた緑色のマフラーをはずすと、サクラの首に巻いてやった。




ぐずっていたサクラが、突然空を見上げた。


ふと、気づくと、ちらちらと雪が待っていることに僕は気づいた。

小さな雪は、その雪のように小さな娘の髪にくっついては、儚く消えていった。


サクラのくりくりとした瞳が、一心に空の向こうを見つめている。




「ママが、泣いてるよ。」


「・・・・・・サクラ?」



「ねえ。パパ。ママが泣いてる。

お空からこんなに涙を流してる。きっと、サクラが手袋をつけれなくなったからだよ。」



「・・・違うよ。」


「ママ、ごめんね。ごめんなさい。」

「違うよ、サクラ。ママは泣いてなんかいないよ。」


サクラの肩に手を置いた。

小さな肩。肩よりも少し伸びた髪が、ふわりと僕の手にかかった。





もう泣かないって決めたはずだったのにな。

空を見上げなくて、空から降ってくるものに、以上に過剰反応を示してしまうことも。



そうだ、これはきっと。

頬に触れる真っ白な結晶のせいだ。



「・・・・・・パパ?」



ぎゅっと、手の中の愛しい子を抱きしめた。

さっきよりも強く、でも壊れてしまわないように。


頬を伝うものに気づかれないように。アカリの姿を追い求めるように。



ふわふわとした白い雪たちが、髪の毛や肩に次々とくっついては消えていった。


今だけは、サクラの少し高い体温を、アカリの体温と重ねていたくて、

僕はゆっくりと瞼を閉じた。






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